Edaume 旧枝梅酒造

「旧枝梅酒造」は、
1854年(嘉永七年)【佐嘉城下町竃帳】によると八戸宿新宿に足軽身分の下村家が造り酒屋を始めた。

1887年(明治二十年)頃、現在の塚原家が下村家から事業と屋敷を買い取った。

1907年(明治四十年)頃、佐賀市久保田で元禄元年(1688)から造り酒屋を営んでいた「窓乃梅酒造」古賀家の四男・喜六が塚原家を相続し「窓乃梅」の分家として「枝梅酒造」を創業した。これが「枝梅」の由来である。
その後、明治、大正、昭和、平成と塚原家による創業は続いた。

2009年、四代目の急逝によって「枝梅酒造」はその役割を終えた。

その後、江戸時代から続いた造り酒屋の形をほとんど残したまま、旧佐賀城下に残る唯一の造り酒屋跡として、手付かずのまま残った。
その場所は、長崎街道に面しており、佐賀市が景観指定した「のこぎり型家並み」の特徴的な場所である。
役目を終えた旧枝梅酒造の建物の状態は急速に老朽化が始まった。だが、所有者もその規模の大きさからどうしようもないまま時は進んだ。

2011年、やがて、地元の八戸町自治会が、その場所と建物の重要さを認識し始め、保存活動を始めた。

2014年、「さが長崎街道まちづくり実行委員会」https://sagamati.jimdo.com/ が、鍋島直正公生誕百五十年記念事業を枝梅酒造で開催した。
そこには、二日間累計500名以上の人々が集まった。鍋島家15代目も駆けつけた。また旧枝梅酒造の保存を目指して「枝梅プロジェクト」https://edaume.jimdo.com/ を立ち上げ、保存活動を行った。だが、保存のメドも立たないまま、年が過ぎた。

2016年、佐賀市は、長崎街道に面し景観指定した母屋・精米所と倉庫だけを買い取り修復することを決定した。

2017年、佐賀市が買い取った部分のテナントに「株式会社とっぺん」が決定した。

2018年・秋、佐賀市の買収部分の修復が終了し、オープンする。

だが、造り酒屋として重要な酒蔵の部分は、保存のメドも立たないまま残されている。